那覇ワードインスティテュートの生徒(M.S.)の証
インスティテュートのクラスで「召される者は多いが選ばれる者は少ない」(教義と聖約121章34〜46節)というテーマについて学びました。教会歴史を通じてあるいは身近な経験を通じて、ここで主が私たちに真に何を望んでおられるのかを知り、「どうしたら選ばれる者になれるのか」についてよりよく知るために、これらの聖句を分析し、その中から大切な原則をまとめてみました。
ある原則は他の原則と結びついていて、すべてを一度に守り、実践し続けるのはとても大変ですが、ひとつひとつ段階を追って地道に実践していけば、すべてについて少しずつ自分のものにしていけると思います。
「神から選ばれる者となる」ために
1.人の誉れを得ることを望んではならない。
(1)自分の罪を覆い隠してはならない。
(2)自分の高慢、自分のうぬぼれた野望を満たそうとしてはいけない。
(3)不義によって人の子らを制御し、支配し、強制しようとしてはならない。
2.義の原則によって人と接する。
(1)説得により、寛容により、温厚と柔和により、また偽りのない愛により、優しさと純粋な知識により人と接する。
(2)聖霊に感じたときには、はっきりと指摘する。その後その人に一層の愛を示す。
(3)絶えず徳で自分の思いを飾るようにする。
(4)心がすべての人に対して、また信仰ある家族に対して慈愛で満たされるようにする。
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「ニーファイ第一書第1章20節の「選ばれた」という言葉が、主の深い憐れみという概念を理解する鍵になります。辞書によれば、「選ばれた」という言葉には、選抜された者、選び取られた者、えり抜かれた者という意味があります。また、神に選ばれた者を指して使われる場合もあります(Oxford English Dictionary On-line、第2版〔1989年〕“Chosen”)。……選ばれた者であること、選ばれた者となることは、限られた人にだけ与えられるものではありません。むしろ、自分が選ばれるかどうかは、皆さんもわたしも最終的には自分で決めることなのです。……むしろ、最終的に神に選ばれた者となるかどうかを決めるのは、わたしたちの心であり、わたしたちの望みであり、わたしたちの従順さなのです。」(デビッド・A・ベドナー長老、2005年5月号『リアホナ』)
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